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2014年9月14日日曜日

「眼に映るものは、懸命な消火作業と、

そして死者、重傷者の山です。甲板士官の働きぶり。逃げる者は斬る、という意味からでしょうか、抜き身の軍刀をふりかざしながら、一番危険な場所に立って消火指揮をしていた掌整備長、かれの姿はつぎの瞬間に起こった誘爆でけしとび、あとかたもなく消えました。」
(同、後藤仁一氏)

「まず、赤城第一弾命中時、

戦闘機は発艦していたかという御質問ですが、一機だけ発艦しておりました。前便でお答えした福田拓中尉が、その一番機が飛行甲板の突端にでてゆくのと、艦の動揺を見くらべつつ二番機の車輪止めをはずさせる機会をうかがっているときでした。
”敵艦爆、本艦直上、突っ込んでくる!”という意味の声(絶叫といった方がいいでしょう)をきいたと記憶しています。しかし、そのまえにすでに”蒼龍やられました””加賀も……”という声があがり、小生は左遠方の蒼龍、加賀から黒煙がたちのぼるのを見てなかば呆然となっていた最中でした。」
(当時大尉で「赤城」艦攻分隊士の一人であった後藤仁一氏)

2007年12月8日に聴く、1941年12月8日のラジオニュース - YouTube

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