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2015年3月21日土曜日

「よいか、参謀というものは

全軍の作戦指導にあたるものなのだ。それが第一線の状況に暗いようで、参謀の仕事ができるか。なにをぐずぐずしておるのだ。すぐに前線におもむいて敵状を視察し、戦況を報告せよ」
かれ(児玉源太郎)は、苛立ったように命じた。
『海の史劇』

2015年3月20日金曜日

作戦の中身そのものの是非論でいえば反対だが、

組織の論理では「出来ない」ということは許されない、というわけである。
この考え方は、きわめて日本的である。現代の日本でも、政党や官僚、企業といった組織の中に蔓延している不変の価値観である。

しかし、このために取り返しのつかないさまざまな犠牲が出た。インパール作戦の失敗も、その一つである。インパール作戦をめぐる「組織の空気」は、まったくこの「日本的組織第一主義の価値観」に染まっていた。そして、その空気の中での作戦の決定と遂行は、「無責任」というキーワードで語られるべき多くの行為を生んでいった。現代のサラリーマンの多くが、大なり小なり日常で感じているさまざまな葛藤は、このインパール作戦の顛末の類型といえる。
『責任なき戦場』

「白骨街道」の悲劇を引き起こした、

その日本陸軍の「組織の体質」が、半世紀近くたった今も、日本のさまざまな組織の中に確実に棲んでいることに慄然とするからである。
『責任なき戦場』

2015年3月15日日曜日

(たれも責任を感じてはいない!)

と、児玉はおもった。責任を感じているならこの場でもすぐ処置があるべきであった。ところがみな見学者のように無責任な顔をしている。
『坂の上の雲』

(この連中が人を殺してきたのだ)

とおもうと、次の行動が、常軌を逸した。かれは地図のむこうにいる少佐参謀におどりかかるなり、その金色燦然たる参謀懸章をつかむや、力まかせにひきちぎった。
『坂の上の雲』